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私が支えられたとき

第2回 サッカー日本代表前監督:岡田武史さん
僕の前にレンガを横に積んでくれた人がいた

 Give One(ギブワン)では、各界で活躍する方々に、苦しいとき、壁に突き当たったときなどに誰かに支えられた経験、支えられたことで自分が変わったり、励まされた経験を語っていただくコーナーを始めます。支え、支えられることの価値や絆の大切さを実感できる場にしたいと思います。

 原則として2か月に1回、登場して下さった方に次の方を紹介していただく「リレーインタビュー形式」で進めます。

 第2回はサッカー日本代表前監督の岡田武史さん(55)です。2010年のサッカーW杯で、日本代表を初のベスト16に導くという大きな成果を上げられましたが、「僕の前に、レンガを横に積んでくれた人がいたから、僕が上に積めた」という独特の表現で、多くの「支え」に感謝なさいました。さて、その心は?


岡田武史さん
おかだ・たけし 1956年8月、大阪府出身。早稲田大卒業後、古河電気工業に進み主にDFとして活躍し、日本代表として24試合に出場。90年に現役引退後、ジェフユナイテッド市原(現ジェフ千葉)コーチ、日本代表コーチを経て97年10月に日本代表監督。W杯初出場に導いた。その後、コンサドーレ札幌、横浜F・マリノスの監督を務め、横浜では03年と04年にJ1を連覇。07年12月、病に倒れたオシム監督に代わり2度目の日本代表監督に就任。2010年のワールドカップ南アフリカ大会でベスト16。

 僕はそれこそ困難の連続で、いろんな人に支えられていますね。例えば、99年にJ2のコンサドーレ札幌の監督に就任したのだけれど、「1年で優勝させてJ1にあげる」と言って5位。日本代表監督をやったばかりで変なプライドもあって失敗しました。その頃は札幌のホテルに住んでいて、試合や練習がなければ1日中ホテルにこもって、試合のビデオを見たり、サッカーのことしか考えていない状態で気が狂いそうになっていた。

 その年の秋だったかなあ、ある人のファンレターを読んでいたら、最後に「朝の来ない夜はありません」って書いてあった。ものすごく救われました。これまで、たくさんの方からファンレターをもらいましたが、あの一文だけは鮮明に覚えています。


 ≪コンサドーレでは監督2年目にJ1に昇格。横浜F・マリノス監督では、すぐに2連覇。そして10年W杯。でも、やはり97年に時計を巻き戻してもらいました。97年10月、W杯予選の最中に日本代表コーチから監督に就任し、予選突破を決めたのは同年11月16日、マレーシア・ジョホールバルでのイランとの第3代表決定戦でした≫


 41歳でいきなりなったのが代表監督で、それが初めての監督。それまで監督経験がなかったんですよ。ゆとりも余裕もなくて必死でやっていて、その時は日本中の1億人から批判されていると思い込んでしまいました。有名人じゃないと思っていたので、電話帳に自宅の電話番号を載せていたから、脅迫状、脅迫電話は止まらなかったし、自宅に変な人が来るからパトカーが24時間家の前に止まっていました。もう、冷静になんかいられないんです。のた打ち回っていましたからね。

岡田武史さん

 救いは家族でした。テレビなどでボロカスに言われていても、家に帰れば家族が淡々と「ご苦労様」と言ってくれる。自分にとって最後の帰り所で、帰り所があるだけで耐えられた。自分にとって家族は特別だと思いました。これをなくしたら、僕は多分だめになるという感覚が、今でもあります。

 でも、家族もきついんです。夫や父親がめちゃくちゃに叩かれているのを見聞きするわけですから。「お父さん、子供たちだって本当、苦しんだよ」と家内がポロっと漏らしたことがあります。長男がテレビを見て涙を流していたことがあったと。でも、彼らは何事もないかのように淡々と迎えてくれていました。意図してそうしたのか、自分たちもつらいから敢えてそうしたのか、分かりませんけれど。どう思っていたのかなんて聞きません。聞いたら「そんなの平気だよ」と言うに決まっているし、あいつら(笑)。

 その時の代表監督は8ヶ月しかやっていないのですが、僕にとっては滅茶苦茶長い8ヶ月でした。家族が淡々としていてくれたのが、ものすごい支えだったなあ。


 ≪とてつもなく大きく、重いプレッシャーを乗り越えた後に感じることは、何なのでしょうか≫


岡田武史さん

 自分ひとりで生きているんじゃないんだ、自分ひとりでチームを作っているのではないというのが、わかるんですよ。ワールドカップでベスト16、すごいすごいと言って下さるが、今まで日本がワールドカップに出られない頃から、「いつかは出るんだ」と思ってやってきた人たち、いつかはワールドカップに出る子供たちを育てるんだと思ってやってきた街のコーチの人たち、みんながレンガを積んできてくれたんです。レンガは真上に積むだけだと倒れます。ところが横に積んだ人は評価されない。

 ジーコは06年ワールドカップで勝てないと批判されましたが、ジーコが自分のためでなく日本のサッカーのためにきちんとチーム作りをして横に積んでくれたから、私は最後にポッと上に乗せただけなんです。そういう感覚がすごくわかります。

 昨年のワールドカップで、(中村)俊輔や楢崎(正剛)をレギュラーから外しました。鬼の所業です。どれだけ(二人は)悔しいか。あれだけ、ワールドカップに賭けてきた二人ですから。でも、彼らは素晴らしい態度でチームのためにやってくれた。ふて腐れるなんてとんでもない。残り組の練習でもレギュラーでないメンバーの練習でも参加して、「次の相手チームはこうだよなあ」などと声をだし、ガンガンやってくれたんです。そのおかげなんです、実は。

 彼らは06年ワールドカップで、レギュラーとレギュラー以外のメンバーとの間に溝ができてしまったのを見ていて、おれたちはそうなっちゃいけないと思っていたんです。そういう積み重ねがある。それが、伝統であり引き継いできた歴史です。


 ≪支えられて乗り越えると、ご自分の内面の変化も感じるそうです≫


 支えられ、乗り越えると自分が強くなっているのを感じます。筑波大の村上和雄先生(名誉教授)が「遺伝子にスイッチが入る」とおっしゃっていますが、確かに「スイッチが入る」感覚があるんですよ。人間はみんな飢餓などを乗り越えてきた強い遺伝子があるが、現代の便利、安全、快適な生活ではスイッチが入るチャンスがないだけだと思うのです。私のように上がり下がりを激しく経験していると、どん底に落ちた時でも「ああ、なんか自分のために必要なことが起きているな、ステップアップのために必要なんだな」という感覚になれるんです。

 そういう経験をしていると助けてあげたくなります。苦しんでいる後輩の指導者に、「みんなが通る道だぞ。ここであきらめるか、頑張れるかだけだぞ、違いは」とタイミングを見て言ってあげると勝ちます。私の勘なのですが、そういうタイミングが分かります。


 ≪インタビューの中で、2つ「嬉しかったこと」に言及なさいました。1つはジョホールバルでW杯出場を決めて帰宅した際、3つ年上の奥様が「お父さん、なんだかんだ言って、チームを掌握していたじゃないの」とほめてくれたこと。もう1つは、昨年のW杯初戦の対カメルーン戦で、家族全員が現地で応援してくれたこと、でした。お話の節目ごとにご家族の強い絆を感じ、うらやましく思いました。また、このページの掲載に合わせたように、中国のサッカーリーグ・杭州緑城の監督就任のニュースが入りました。岡田さんの中国でのご健闘をギブワン一同、お祈り申し上げます。≫


2011年12月16日掲載

(聞き手:ギブワンスタッフ 前田純弘)

 ★次回はプロ野球東京ヤクルトスワローズ元監督の古田敦也さんの予定です。

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