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レポート情報

[村落植林活動]キリマンジャロ山を巡る「人」と「環境」の相克 (その1)

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植林後(2012)
植林後(2012)

 キリマンジャロ山といえば、アフリカの最高峰、そしてほぼ赤道直下にありながら、山頂に万年の氷雪を抱く山として、つとに知られています。さらに世界遺産にも登録され、最近では事実はまだ定かではないものの、地球温暖化の影響ともいわれる山頂氷河の急激な減少が、なおのことこの山の存在を世界に知らしめています。

 しかしこの山が人類の宝として、その素晴らしい景観や登山の対象として注目されることはあっても、あるいは地球温暖化の象徴として先進国の人々の耳目を集めることになっても、いまこの山で起こっている「森」(自然・環境)とそこに生きる「人々」との間の相克について、知る人はほとんどいないといって良いでしょう。

 もっとも、ここでは分かり易くするために敢えて“相克”という表現を用いましたが、その実相はこの言葉が想起させる二項対立のイメージほど単純なものではありません。

 私たちタンザニア・ポレポレクラブは、1994年からキリマンジャロ山の東南山麓、標高約1,700mにあるテマ村で、ローカルNGO“TEACA”(Tanzania Environmental Action Association)や地域の村人たちと力を合わせながら、森林回復のための植林に取り組んでいます。地域の人々は私たちが現地に入る以前、1989年からすでに植林に立ち上がっていました。彼らをして植林の必要性自覚へと至らしめたのは、昔の記憶に比べて不安定化し減り続ける雨量と、それに伴う水源の枯渇や水不足、作物の生産性低下などが、自分たちが森の木を消費(主に薪として)し続ける一方で、森林の劣化を招いてしまったことにあるのではないかと考えたからです。彼らは小学校の片隅に苗木を育てるための小さな苗畑を立ち上げると、自分たちが日々利用している森の中に開けてしまった裸地に、1本1本木を植え始めました。以来20年以上にわたって、彼らは森での植林に取り組み続けています。当初は千本にも満たない数だった苗木は、最大時には年間12万本を超えるまでになりました(植林、配付、販売用苗木の合計数)。


植林中(2011)
植林中(2011)

 さて、ここで出てくる「自分たちが日々利用している森」ですが、実はそこは完全な原生の森とは異なります。この森は“Half Mile Forest Strip ”(以下HMFS)と呼ばれ、森林保護区(1921年設定)の内側にありながらも、地域住民が日々の生活に欠かすことの出来ない鼻w)?ェ要最低限の生活資源(薪や家畜のための草など)を採集して良い場所として、1941年に設けられたバッファゾーン(緩衝帯)の森です。キリマンジャロ山ではその後1973年に、森林保護区より標高の高い部分が国立公園とされ、さらに1989年に山自体が世界遺産として登録されました。

 このようにキリマンジャロ山の(自然)管理体制は、世界遺産としての網掛けがかかると同時に、標高の高い順から国立公園→森林保護区→森林保護区の一部としてのHMFS→その下、山麓最下層に広がる村落圏という4層構造に分けられて行われる形が確立されました。


植林前(2010)
植林前(2010)

 もともと森林保護区内にHMFSというバッファゾーンが設けられることになった経緯は、1921年に設定された森林保護区が、人々の森林へのアクセスを禁じていたためです。当時も今もキリマンジャロ山麓に暮らしているのはチャガと呼ばれる人々ですが、彼らは政府(植民地政府)に対して、森林保護区として人々を森から締め出しては、そこで暮らしている者の生活が成り立たたないこと、地域住民が日々の生活必要資源を採集することが許される、然るべきエリアが必要であるとの要請したことによります。またそうした明確なエリアを設定し、適切に管理運営していくことで、それ以外の森は手をつけらずに守られるようになります。それ故のバッファゾーン(緩衝帯)であり、またエリアが設けられた1941年当時、このエリアがHMFSとは称されず、“Chagga Local Authority Strip”と命名されたのも、こうした経緯から、その管理権限がチャガ民族の代表機関(当時)であったチャガ評議会に付与された故です。

 チャガ評議会の下、Chagga Local Authority Stripの森は、彼ら、そして地域住民たちの手によって良く管理され、守られていたことが知られています。タンザニアが独立し、民族(部族)主義排除の理念のもとチャガ評議会が解散させられた1961年までの間、彼らによってこのエリアに植林された面積は450haにのぼります。1962年から現在のHMFSに名称が変わり、その後1971年までが県の管轄、1972年~1986年までが州の管轄、そして1987年から再び県の管轄へと、HMFSの管理主体は二転三転入れ替えられます。県が管轄した間の植林面積は、それぞれ1962年~1971年までが116ha、1987! $BG/$+$i$,129haでした。州が管轄した間の植林面積は不明ですが、県の管轄時も含め、自主財源確保のための商業林経営に重きが置かれたため、植林面積より伐採面積が上回っていたと言われています。とくにタンザニアの森林管理において、それが州管轄下にあった時期は「いくつかの森林保護区が完全に消滅した」最悪の時期でした。

 その後現在に至るまでキリマンジャロ山の森林は、一貫して減少の一途を辿っています。世界遺産でもある同山のこうした状況は先進国からも注目され、日本も加盟する先進国クラブ・経済開発協力機構(OECD)からも「森を守るために国立公園の範囲を広げ、軍隊並みの監視隊を配置せよ」とのレポートが出されるに至りました。





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